母を見送って。

母を見送りました。

闘病生活は大変だったと思うけど、我慢強い母は何でも一人でこなし、働く私の代わりに子供たちの世話も亡くなる直前までしてくれていました。
母にはずっと助けられてきたことを改めて気づかされます。

母の病気がわかって1年、母も父も詳しいことは言ってくれなかったので、私は深刻さを理解していませんでした。
母が倒れ、病院に向かうよう連絡があった際に医者から初めて説明を受け、壮絶な闘病生活だったのだと知りました。
そんな状態を微塵にも感じさせなかった母でした。

母が倒れたのは、
新しい抗がん剤を試すために3日間の予定で入院していた病院のことでした。

退院日には立ち会えないので、私は荷物を持ち帰ってあげようと、退院前日仕事帰りに面会に行きました。
面会時間が終わり、私は家に帰りましたが、家に着いて2時間ほど経った22時過ぎ、父から病院に行くよう電話が入りました。
母が脳出血を起こし、危険な状態だというのです。

医者からは緊急手術をするかどうかの選択を迫られました。

「すでに片目の瞳孔が開いていて、手術が成功しても右半身不随で話もできないだろう。」と言われました。
また、「すでに癌で体はボロボロ、手術には耐えられないだろう。」「脳の手術が成功しても、がんの方で余命幾ばくもない。」と。
暗に「手術はしない方がいい。」と言われているようでした。

1時間も待てないからすぐに結論を出すよう言われました。
私としては、「命の長さよりも苦しむ長さが短い方がいい、家族の悲しみよりも本人の苦しみが軽い方がいい。」と思いました。
でも、兄が「少しでも望みがあるのならば手術をして欲しい。」と言い、手術をしてもらうことに家族として選択しました。

結果、手術は成功し、一命はとりとめました。
また心配していた麻痺も軽くすみました。

脳神経外科の方では、「ICUで1~2週間様子を見ましょう。」と言われていましたが、
がんの方の外科の先生に呼ばれ、「癌が進行しあらゆる場所に癌細胞がみられ、数日の命だろう。」と説明を受けました。
先生から、手の施しようがないので面会制限のない個室でゆっくり最期の時間を家族で過ごすよう提案され、個室に移りました。

そこから約10日間、家族の時間がとれました。

もし手術をしていなかったらこの10日間はありませんでした。
母には大変な時間であったかもしれないけれど、この10日間頑張ってくれて感謝しかありません。
途中、元気になったかのように見えた瞬間もあったけれど、荒い息遣いと、だんだん起き上がれなくなり・・・。

私は末っ子で母からすごく可愛がってもらったし、近所に嫁いだため結婚後も週に何度も会っていました。
母に依存していることも自覚していて母にもしものことがあったら私はどうなるだろう、と思っていました。

でも、亡くなって今日まで不思議と涙が出ません。
亡くなるまでの10日間、お世話をさせてもらってゆっくりと家族の時間を持たせてもらえたのも大きかったのだと思います。

悲しいのはもちろんあるけれど、
それよりもただ、「会って話がしたいな」「またどっか一緒に行きたいな」と思うのです。

母と最後に話をしたのは、倒れる直前に面会に行った私だと思います。
面会の時に私が愚痴っていたら、母は「あんまり気にし過ぎるんじゃないよ。」と言ってくれました。

「お母さん、ありがとう。この先は深く考えすぎないようにして楽しく生きるよ。」
と、そう思うのです。